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理論と実践をつなぐ事例研究 看護理論活用ガイド
第5回 アイダ・ジーン・オーランドの看護理論
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レクチャー
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- 2025/11/19 掲載

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「看護学生や(現場の看護師)が、 実践と看護理論を結びつけて実践を考えるために、看護教員ができること」 本連載では、ベルランド看護助産大学校で教員として勤務されながら、臨床看護学の研究にも携わられる角野雅春先生が、毎回1つの看護理論と共に、その看護理論を用いてどのように学生や看護師の実践を共に振り返ったのか、理論の説明と看護実践の2本柱で紹介いただきます。 |

看護理論と実践をつなぐ:「看護の意味」の探究
シリーズ最終回では、テーマである「理論と実践をつなぐ」の“実践”について、アイダ・ジーン・オーランドの看護理論を用いて、看護学生Tさんと患者の関わりから、「看護の意味」について学びを深めていきたいと思います。
先生方は、看護実習の場面で、看護学生から次のような言葉を耳にすることはないでしょうか。
「対象に“必要な看護ケア”について考えているのですが、わからなくなってしまって……」
看護学生がこの言葉を発する背景には、看護過程におけるアセスメントの困難さ、特に「患者の言動の意味」を捉え、看護実践に結びつけることの難しさがあると考えます。
そもそも看護過程の定義を振り返る
日本看護科学学会による看護過程の定義1)は、
- 「看護の知識体系と経験に基づいて,人々の健康上の問題を見極め,最適かつ個別的な看護を提供するための組織的・系統的な看護実践方法」
- 「看護理論や看護モデルを看護実践へつなぐ方法」
とされています。さらに、
- 「看護過程は,看護の対象となる人々と看護実践者との対人的関係の中で成立し,展開するものである。すなわち,看護過程は,対人的援助関係の過程を基盤として,看護の目標を達成するための科学的な問題解決法を応用した思考過程の筋道」
であると述べられており、看護過程を活用して看護を展開するためには、
- 人間関係の技能,特定の結果や望ましい行動反応をもたらすための方法を展開する技術的技能
- 看護の対象となる人々の心情を感じ取り,気遣いを行うケアリングの能力
などの能力や技能が必要とされます。
アイダ・ジーン・オーランドの看護理論
先に述べた、看護過程を活用して看護を展開するための能力は、オーランドの理論が焦点を当てる《看護師と患者の相互作用》を目指す看護実践と、密接に関連しているのではないでしょうか。
そして、オーランドは看護援助の過程を次の三要素から成り立つと示しています。
- 患者の言動
- 看護師の反応
- 看護師の活動
オーランドは、看護独自の機能とは、患者の言動が患者にとってどんな意味を持っているかを追求し、患者に見合った援助:つまり患者のニードを明らかにすることにあるとしています。そして、この追及において、看護師が知覚したこと(例:「~のように見える」「~らしい」)を基に、その行動の意味をはっきりと確かめ、原因を探り援助することの重要性を述べています。
そこで今回、看護学生Tさんが対象への“必要な看護ケア”をより明確にすべく、オーランドの理論を用いた2つの実践から、実践と看護理論をつないでみえる「看護の意味」を探究してみましょう。
看護学生Tさんの1つ目の看護実践:両側肺腺がんのAさん
看護学生Tさんと患者Aさんとの関わり
まず、1つ目の事例では、病気にかかった自分の姿を「こんな姿」と表現し、否定的な感情を抱く、がん初発の患者Aさんを受け持った看護学生Tさんの看護実践を見てみましょう。
| Aさん、70代男性。両側肺腺がんと診断を受け、化学療法、放射線療法のため入院。 |
看護学生Tさんは受け持ち当初、がんによる初めての入院で化学療法・放射線療法を受けるAさんに対し、看護実践として副作用の最小化、安全な治療の継続を目指しました。また、Aさんに認められ始めた免疫抵抗低下(骨髄抑制)に対する感染予防行動や末梢神経障害(下肢末端しびれ)から見られる活動耐性の低下に着目し、療養支援を目指していました。
そのような関わりを継続する中で、看護学生Tさんは以下のような会話をしたと言います。
Aさん 「副作用が心配だね。パンフレットもらって説明してもらったけど、今はまだ1回目の治療(化学療法、放射線療法)が終わったところだからね。全部で6回も続くらしいから、次は明後日。このまま何ごともなければいいけど、やっぱり喉が痛くなったりするのかな」
看護学生Tさん 「今は副作用の症状は何も出てないのですね。良かったです。不安な気持ち、とてもよく分かります。6回もの治療が続く中で、まだ何も症状が出ていなくても、『次は大丈夫だろうか』『いつから痛み出てくるのだろう』と考えてしまうのは自然なことですよね」
Aさん 「そうだね。今は1日中何もすることがないからずっとここ(病床)にいるよ。入院前も、春は桜も見られず夏の花火も見られなかったからね。このまま紅葉も見られないのかな」
Tさんは、これらの会話から、Aさんから治療に対する心配や気がかり、そして、がんを患ったことでこれまでできていたことができなくなってしまった苦悩と寂しさを感じたと話してくれました。
ここで、オーランドの看護理論からいえること
オーランドは、看護独自の機能は何よりもまず個々の患者が置かれている特殊な状況を把握することにあり、そのための手掛かりは、患者の行動によって示されると述べています。
そして、看護師は患者の行動を観察する際、知覚、思考、感情の経験を通して理解し、その場その場における【看護師の反応】が患者にどのような影響を与えたかを見いだすことが重要であると述べています。
患者Aさんが置かれている特殊な状況を探る
看護学生Tさんは、Aさんに対して看護の方向性を見いだせずにいた中、Aさんの「紅葉も見られないのかな」という一言に、様々な不安や葛藤、ニーズが潜んでいることに気づき、それに応じることが看護であると考えたと言います。Aさんからその言葉を受け取った時に感じた感情、つまりTさんの「何かしたい」「何とかしたい」という想いを手掛かりに、看護実践につなげていきました。
Tさんは、Aさんが元々マラソンをしていたこと、がん診断後も散歩を続けていたこと、そして、入院後も他者(他患者や看護師などの医療従事者)に配慮しつつ早朝に廊下を散歩していたことを知っていました。
そして、Aさんの「紅葉も見られないのかな」という言葉は、単に「紅葉が見たい」という想いから発せられたものではなく、病状や入院生活によってこれまで大切にしてきた「活動(散歩)」や「季節を感じること」といった当たり前の日常が奪われることへの不安や、外の空気に触れたい、季節を感じたいという潜在的なニーズ、さらには「もう以前のようにはなれないのではないか」という葛藤が含まれていると考えました。
そこで、Tさんは「紅葉も見られないのかな」に対して「そうですね、残念ですね」と共感するのではなく、「Aさんのニーズに応える」という具体的な看護行為として「病院の中庭を一緒に散歩する」という、安全かつ実現可能で、Aさんの「想い」に最も寄り添った形での声掛けに至りました。
看護学生Tさんの看護実践:患者Aさんとの中庭の散歩
看護学生TさんはAさんと一緒に病院の中庭を散歩する中で、「こんな場所があったんですね。(紅葉を見て)葉っぱの色が変わってる、気持ちいい」という穏やかな言葉を聞いています。病床においても物静かな印象があったというAさんですが、病床で話す時とは全く異なる穏やかな表情をされていたようです。
後日、Tさんが病床を訪れ、Aさんに「今日は少し歩かれたり、運動されたりしましたか?」と声をかけると、Aさんは「うん、今日も朝に中庭を歩いてきたよ、ありがとう。午後に一緒に散歩に行きましょうね」と答えてくれたそうです。
午後、TさんはAさんと散歩する中で「入院前も歩いたりしていたのですか?」と尋ねたようです。すると、Aさんは嬉しそうに「入院前は、1日40分は散歩していたよ」と言い、TさんがAさんの歩く姿を見て「散歩していた時は、今みたいに腕を大きく振って歩かれていたのですか?」と聞いた際には「そう見えるならよかった。昔、マラソンしていた時のような腕の振りになっているのかな」と、誇らしげな表情で答えられたといいます。
ここで、Aさんの「そう見えるならよかった」という言葉を引き出したことは、オーランドの看護理論でいう患者―看護師間の相互作用の分析を通じて、Aさんの当面のニードを探り当てた重要な実践的瞬間だったのではないでしょうか。
さらにTさんは、Aさんから次のような言葉を聞いたと言います。
「こんな姿を孫に見せたくなかったんだよね。体力はもともとあった方だと思うから……こんなことになってしまったけど。
抗がん剤の治療をしても治らなかったら、と思うと不安はあるけど、早く家に帰りたいね。明けない夜はないと思ってがんばるよ」
ここで注目すべきは、Aさんが発した「こんな姿」という言葉です。これは、健康であった頃の自己から変わってしまった悲しみのみを示すのではなく、がんである自己を受容し進もうとしている中にあっても、家族との暮らしに対する気がかりや苦悩を含む否定的な感情が表に出たものです。
また、Tさんが感じていた「寂しさ」といった感情は、Aさんのアイデンティティとしての「強い自己像」の喪失を感じ取っていたと考えられます。これは、TさんがAさんとの相互関係を築いていたからであり、その結果、Aさんの真に求めている当面のニードを明確にすることができたのではないでしょうか。
オーランドの看護理論と看護学生Tさんの看護実践
オーランドは、看護師の責務として「患者のニードを満たすために、あらゆる援助を提供することである。言いかえると、患者が医師の指示のもとに何らかの治療を受けている間、患者に肉体的・精神的安楽を、できるだけ与えることである」と述べています。
私たち看護にとって大切なことは、患者がどのようなニードを持っているかをまず見いだし、それからそのニーズを満たす方略を講ずることであると示しています。
看護の意味について考えるとき、看護学生Tさんが実践した「病気に向かえる姿を促す」看護は、Aさんの「病気になっても変わらない自己」、そして「未来への希望(家に帰ること)」を支えた看護であり、それはAさんが真に求めている「安寧(Well-being)」につながる、個別的かつ全人的な援助であったと言えるのではないでしょうか。
次に、化学療法継続が困難となり、様々な葛藤を抱えるがん患者Bさんを受け持ったTさんが、Bさんとの関わりに悩み、看護実践に向き合った事例を見ていきましょう。
看護学生Tさんの2つ目の看護実践:右小細胞肺がんのBさん
看護学生Tさんと患者Bさんとの関わり
| Bさん、70代男性。右小細胞肺がん。数年前に肺がんの手術を受け、その後、長年にわたり化学療法に臨む。しかし直近の化学療法で好中球減少による敗血症性ショックを2度繰り返し、ICUでの治療を要し、化学療法継続不可を余儀なくされた。受け持ち当時、ギアチェンジの段階に移行中。 |
今回、看護学生Tさんは上記のような状況にあるBさんを受け持つこととなりました。そして、日々病床を訪れ、Bさんへの看護実践を重ねる中で次のような言葉を受けます。
今のまま、化学療法を継続したいなんて、医師や看護師さんに言えない。
がん患者にとって、「がん治療」への希望は切なる願いでしょう。そして、Bさんの言葉を受けたTさんは、当初返す言葉が見つからなかったと話してくれました。そこで、私はTさんに、Bさんからその言葉を受けた時に感じたこと、思ったこと、考えたことを伺いました。
「私はBさんを受け持ってから数日間、幾度といろいろなお話を聞かせてもらっていたのですが、その時は本当に何も言えなくて……。どうしたらいいんだろうと思いました。」
また、次のように話します。
「Bさんから、化学療法を受けていた時のお話も聞いていました。その時はきっと今よりもっとしんどかったでしょうし、きっと長い間、がんや、化学療法の副作用と闘っていて、苦しい思いをしてきていたんだろうにって思いました」
「そして今回とその前の化学療法の時は、有害事象で敗血症で、ICUで生死を彷徨ったって話も聞いていたので、Bさんから化学療法を継続したいって言葉を聞くとは思っていなくって……。だから、何も言えなかったんです」
私は加えて、「Bさんが、なぜ医師や看護師には伝えることのできない『化学療法を継続したい』という想いを、看護学生Tさんに伝えたと思いますか?」とTさんに尋ねたところ、その問いの答えには至らずも、次のことを話してくれました。
「私、Bさんが化学療法を中断したいと言った時も、今回継続したいと言った時も、何も話しませんでした。返す言葉がなかっただけなんですが、あの言葉は、Bさんの『治療中段を受け入れなければならない気持ちと、それでもやっぱり治療を続けたいという想い』という、相反する感情の吐露だったと思います」
「あの話を聞いた後、前にBさんが話してくれた、ご家族と過ごされたときの話をしてみたんです。前は外食することが楽しみで、奥さんといろいろな洋食屋さんに食べに行ったりしていたみたいなんです。今は、なんとか病院食は全部食べているけどそれも身体のためで、食べなければならないという義務感を感じている、と話してくれたこともありました」
看護学生Tさんは、抗がん剤治療を中止せざるを得ず、治療方針に対しては理解しているもののさまざまな葛藤を抱えているBさんに、日々のコミュニケーションを通して寄り添い、想いに共感していく中でTさん自身の反応を共有してきたのでしょう。
TさんはBさんの語りに繰り返し耳を傾け、寄り添うことで、Bさんの葛藤する感情の整理を促すことにつながり、その結果、Bさんは自信の気持ちや考えを少しずつ明確にできたのだと思います。そして、Bさんは「今のまま化学療法を継続したいなんて、医師や看護師さんに言えない」という本音を、Tさんに伝えてくれたのではないでしょうか。
ややもすれば、Bさんは自分の想いに耳を傾けてくれる看護学生Tさんの存在自体に、援助のニーズを示していたのかもしれません。
オーランドの看護理論と看護学生Tさんの看護実践
オーランドは、真に患者の援助となっているかをどう明確にできるか、という問いに次のように答えています2)。
- 看護師は,患者との対面においてある体験を得,それに従って知覚し,思考し,感じ,活動する。 それぞれの看護の場においても、看護師は患者の言動の意味をはっきりと理解するために,自分自身の反応と活動について,もっと探求しなければならない。 このような探求をしてこそ,看護師の反応は,確実な成果をあげることができる。
- 看護師は,患者のある面について知覚したもの,思考したもの,感じたものを,言葉や動作,あるいは,不思議そうな調子や考えている調子,疑っている調子で表現し,自分の反応を患者と共有する。 看護師の反応が正確で適切であるかどうかを知るために共有する。 看護師の反応が患者の反応を呼び,さらにそれらがお互いの新たな反応を呼び起こす。 このようにして、両者間の話し合いと追求は続けられる。 看護師は,必ずその方法を実行しなければならない。そうしてこそ,お互いの思っていることとその理由を見出すことができ,患者のニードの理解に近づくことができるのである。
- 患者のニードをはっきりと把握したとき,看護師は,そのニードを最も適切に満たしうる活動を決めることができる。看護師が患者のために,あるいは患者とともに話し合った結果,他の分野の人々の援助が必要だという結論を得ることもあろう。 その活動が,看護師によって施工されたものであっても,他の人々によって施行されたものであっても,看護師は,その成果について患者に尋ね,患者のニードが満たされたかどうか確かめなければならない。
- この熟考的な看護過程は,患者を援助するという看護師の職業に,なくてはならない看護方法である。なぜなら,看護師は,患者がどんな体験をしているか,あるいは,患者はほんとうに助けられているかどうかを知る最適の立場にあるからである。 看護師は患者の当面の言動を観察することによって,患者がほんとうに助けられているかどうか,あるいは,ニードが満たされているかどうかを知ることができる。もし患者の言動に,よくなったという変化がみられなかったならば,看護師は,患者のニードはまだ満たされていないと判断して,さらに,効果的活動を続けることができる。なお,患者の言動が以前と変わらなければ,患者の当面の言動がどうであれ,熟考的方法を使って,はじめから追求をし直さなくてはならない。
今回、看護学生Tさんが行った看護実践は、Bさんという「ひとりの人」のニードをはっきりと把握し、目の前の今のみを支える看護に留まるものではなく、これまでも、そしてこれからも、Bさんに繰り返し訪れるであろうさまざまな困難な状況に置いて、患者―看護師間の相互関係に影響を及ぼすことができる、全人的ケアであったといえるのではないでしょうか。
終わりに
看護学生は、看護学を学ぶ過程において、看護理論を「難しい科目」として苦手意識を持っていることが多いでしょう。今回取り上げたオーランドの理論は、看護学を学ぶ過程にある看護学生にとって、様々な観点で自己の看護実践を振り返ることで「看護の意味」を探究でき、対象の理解に繋がる気づきをもたらしてくれると考えます。
そして、看護学生自身も看護理論を活用し看護実践を行い、振り返ることによって、対象と向き合い成長していたのではないでしょうか。
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看護の意味の探究 看護理論という枠組みを用いることで、学生は自身の看護実践を様々な角度から客観的に振り返ることができます。これは、目の前のケアが持つ本質的な「意味」や目的を深く探究することにつながります。 |
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対象理解と気づき 理論を適用することで、患者さんの状況や行動の背景にある複雑な要因に気づき、より深い対象理解が可能になります。 |
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実践を通じた自己成長 学生自身が理論を活用して実践し、振り返るという一連のプロセスは、対象者と真摯に向き合い、看護師として人間的に成長するための貴重な機会となります。 |
本シリーズは、看護学生が持つ看護理論への苦手意識を解消し、実践と理論の架け橋となることを目指しました。身近な事例を通じて理論を結びつけることで、看護理論を活用でき、自身の看護観や思いを適切に表現できるようになることは、ひいては看護実践に「楽しさ」や「嬉しさ」といったポジティブな感情を見出せることにつながるでしょう。
実習時間に制限がある学生にとって、対象の顕在化していない問題を捉えることは容易ではないでしょう。また、初学者である看護学生にとって、自身の考えや思いを表現することにも限界があります。私たち教育者は、看護学生のそれらの思いの言語化を助け、自らの看護に気づける関わりが重要であると考えます。
その時にこそ、看護理論を用いて看護実践を振り返ることが必要と考えます。看護実践を振り返ることは、看護師や看護学生が提供する看護援助や行為の根拠を明確にするために不可欠です。
私たち教育に携わる者は、学習者の豊かな感性と、深い理解力と、高い実践力の獲得につながる看護実践の意味を自ら探求できるよう、「看護とは何か」を考えられるよう、さらには、学習者自身の看護実践が価値あるものだと実感できるよう関わっていくべきだと考えています。
[参考・引用文献]
1)日本看護科学学会 看護学学術用語検討委員会: janspedia-看護学を構成する重要な用語集「看護過程」. https://www.jans.or.jp/glossary/nursing-process/ [2025/11/21アクセス]
2)アイダ・ジェーン・オーランド (著)/ 稲田八重子(訳): 看護の探究―ダイナミックな人間関係をもとにした方法. メヂカルフレンド社, 1964.

