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【小説】ワースト・ナース~看護教員のリアル~

第 8 話 省みない看護学生 (3)

  • #看護教員
  • #看護学生
  • 2025/11/04 掲載
橘一沙

──もともと自信あったから、なんとなく大丈夫って思ってました。

 

高井の言葉が、ずっと耳の奥に残っていた。

きっと彼の「自信」は、まぎれもなく本物だったのだろう。

 

10 年以上学生と関わってきたなかで、他者評価と自己評価が一致していない学生に出会うことは少なくなかった。

 

そういう私自身も、かつては似たような学生だった。

 

私や彼らに共通しているのは、「やった」と「できた」、「考えた」と「理解した」が同じものとして扱われていることだ。

自分では「やった」し、「考えた」から OK。それで終わってしまう。

 

自己評価が高ければ高いほど、「できない自分」を受け入れるのが難しくなる。

指導されたとき、つい口をついて出るのは「いや」「でも」といった言葉だ。

それは防衛本能のようなもので、自分を守るための反応だった。

新人の頃は、私もよく口にしていた言葉だ。

 

「『でも』という言葉を使うのをやめなさい」

——私のプリセプターから受けた叱責を、最近のことのように覚えている。

 

とにかく、「自分は間違っていない」と言いたかった。

無意識のうちに、自分は悪くないというストーリーを組み立てて、言い訳していた。

 

高井も、きっと同じだったのだと思う。

本当は、不安や焦りを抱えていたはずなのに、それを見せまいとする態度が、

かえって彼を孤立させてしまっていた。

 

「俺、もう終わりっすよね」と口にしながらも、

心の中では「まだ大丈夫」「自分はそんなに悪くない」と思っていたのではないか。

 

私は彼に「看護師に向いていない」とは一言も言わなかった。

そんなことは誰にもわからない。

ただ、「今のままでは、また同じことを繰り返すよ」とだけ伝えた。

 

けれど、その言葉がどれだけ彼に届いたのかはわからない。

 

ときどき私は、こんなふうに思ってしまう。

——一度大きな失敗をしないとわからないよな、と。

 

私自身がそうだったからだ。

毎日先輩に叱られ、今までの自分を全否定されて、ようやく気づいた。

 

「こんな自分はもう嫌だ」

「いい加減、変わりたい」

どん底まで落ちて、初めてそう思ったのだ。

 

しかし、医療職者やその卵である看護学生には、そう簡単に「痛い目を見させる」ことはできない。

なぜなら、その「失敗」は患者さんを危険にさらすことだからだ。

 

だから看護学生は、事前に学び、練習し、未熟なりにも十分な準備のもと患者さんの前に立つ必要がある。

今回の高井の言動は、実習中断の判断を下されても、仕方のないものだった。

 

けれど、そうなる前に——

私たち教員は、すべきことがあったのではないか。

 

高井に対する教育的成果を、「指導を素直に受け入れ、看護学生として適切な行動をとれるようになること」としたなら、

彼を理解することから始めなくてはならなかったのではないだろうか。

 

数年前、ある臨床指導者にこう言われた。

「先生たちは学生を評価しすぎてませんか? もっと理解してあげてもいいんじゃないですか?」

 

——その言葉に、ハッとした。

10 年以上教員を続けてきたことで、見えなくなっていたものがあった。

 

私たちの指導には、いつの間にか「正しさ」ばかりを押しつける響きがあったのかもしれない。

もちろん、危険な行為を見過ごすことはできない。

それは指摘されるべきことだし、学生自身が向き合うべき課題でもある。

 

だが、もしその言葉が彼の自尊心を傷つけ、指導を受け入れられない状態にしていたのだとしたら、

どれだけ正しくても、それはもう「届かない言葉」にすぎない。

 

まずは、学生が抱える悩みや不安を、素直に表出できるような関係を築くこと。

そして、対話の中で、自ら気づいていけるように支えること。

 

そこから始めるべきだったのかもしれない。

 

──患者さんに、何事もなくて本当によかった。

それは、嘘偽りのない本音だった。

 

私たち看護教員は、学生が患者さんに不利益を与えないように指導する責務を背負っている。

高井のような学生に対し厳しくなってしまうのは、当然のことなのかもしれない。

 

一方で、学生の成長を支え、看護師になるために必要な知識、技術、

そして “心” を伝えるのもまた、私たちの仕事だ。

 

看護教員としても人間としても未熟な私は、

「どうすればいいんだろう」と迷い、

「どうやって説明したら伝わるんだ」と悩み、

「こんな基本的なことをどうして守れないのか」と怒り、

「どうしてここまでしなきゃいけないんだ」と投げ出したくなることもある。

 

そんなとき、私はいつも学生だった頃の自分や、新人看護師時代のことを思い出す。

 

「自分だって、似たようなものだったじゃないか」

「むしろ、自分のときよりずっとマシだ」

——そんな声がまざまざと聞こえてくるのだ。

 

どんな学生であっても、看護師になることを諦めない限り、最後まで伴走する。

それが、私たちが学生を受け入れた側としての責任だ。

たとえ大きな問題を抱えた学生だったとしても。

 

高井のような学生と出会うと、正直、すべて投げ出したくなったり、

激しい怒りや失望、無力感が押し寄せてくることもある。

同時に、思い出すのだ。

 

昔の自分みたいな学生を助けたいと思ってこの仕事を選んだんだろう、と。

 

高井のような学生は、私にとって最も大切な「やりがい」を思い出させてくれる存在だった。

これからも、そのことを忘れないでいたいと思う。

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