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看護教員がいろいろな「先生」に話を聞いてみた

山中伸之先生に聞く 学生の主体性を引き出す「受けの技術」

  • インタビュー
  • #「受けの技術」
  • #書くことも発言
  • #「知識・技術・経験」のサイクル
  • 2025/11/25 掲載
佐々木康之輔
山中伸之
講師紹介
山中伸之
小・中学校に38年間勤務して退職。現在は、栃木県公立小学校非常勤講師、東京未来大学非常勤講師。日本言語技術教育学会理事、日本群読教育の会常任委員、実感道徳研究会主宰。学級経営や国語・道徳の授業、エピソードトークなどについて、小中学校教員の悩みに答える活動や情報の発信を行っている。著書に『授業力を高める「受けの技術」』『できる教師のすごい習慣』『小学校道徳の授業づくりはじめの一歩』『小学校長のための珠玉の式辞&講話集』など多数。
佐々木康之輔
著者紹介
佐々木康之輔
東北大学大学院医学系研究科

 

インタビューの前に

 どうすれば学生がもっと意欲的に、自ら学んでくれるようになるのか。日々試行錯誤するなかで、山中伸之先生の著書『授業力を高める「受けの技術」』を拝読し、大きな気づきを得ました。これまで私は、講義の良し悪しは「話す内容や構成」といった「攻めの技術」にかかっていると考えていました。しかし本書を読み進めるうちに、学生の反応を受け止めながら授業をつくっていく「受けの技術」というものがあることに気づかされました。山中先生の著書は主に小学生を対象とした実践をもとに書かれていますが、私はその内容を大学生への講義ではどのように応用できるだろうか、と考えました。

 そこで今回は、他の先生方にも「受けの技術」を知ってもらいたいという思いから、先生に直接「受けの技術」について詳しくお話を伺い、大学教育にも生かせるヒントを探ることにしました。

 

「受けの技術」と「攻めの技術」の理解

 

佐々木 先生のご著書を拝読し、私なりに次のように理解しました。「攻めの技術」とは教師が主体的に知識や情報を伝えるものであり、「受けの技術」とは学生の反応を受け止め、それを基に展開していくものだと考えています。

 そこで、講義の具体的な場面を挙げながら、これは「攻め」なのか「受け」なのかを1つずつ確認していきたいと思います。

山中 「攻めの技術」と「受けの技術」を端的に言い表してくださり、ありがとうございます。両者は明確に線引きできない面もありますので、具体例で考えるのはとても有効だと思います。よろしくお願いします。

佐々木 まず、講義内での説明やスライドを使った知識伝達です。これは明らかに「攻めの技術」ですね。

山中 そうですね。教員が一方的に情報を発信している場合は、学生の反応が特に関係していませんから「攻め」にあたります。ただし、その説明の途中で学生の表情や反応を見て話し方を変えたり、例を追加したりするなら、その瞬間に「受け」が入ってきます。つまり、授業中の教師からの一方通行的な発信が「攻め」、反応に応じた発信の調整や切り返しなどが「受け」です

佐々木 なるほど、学生の反応に応じる場合は「受け」に切り替わるということですね。

 それでは、講義中に質問を投げかける場面はどうでしょうか。たとえば「この内容についてどう思いますか?」と問いかけて、学生に考えさせる場合です。

山中 ここも分岐点です。問いを投げかけただけでは「攻めの技術」ですが、返ってきた学生の答えを受け止めたうえで、発問で返せば「受け」になります。また、学生のある発言に触発されて、予定外の発問をしたとすれば、それも「受け」です。「それは違うね」と訂正したり、「なるほど、そう考えたのですね」と一度受け止めてから補足したりするのも「受け」です。受け止め方ひとつで、学生の意欲や安心感が大きく変わります。

佐々木 問いかけだけでは「攻め」にとどまるのですね。では、アクティブラーニング形式でのグループディスカッションはどうでしょうか。

山中 これも見方が分かれます。ディスカッションそのものを設定するのは「攻め」の要素です。しかし、討議後に出てきた学生の意見をどう「束ねる」か、あるいは発言の流れをどう次につなげるか、そこが「受け」の最重要ポイントの1つです。たとえば学生の発言を「Aさんはこう考えた、Bさんはこう補ってくれた。つまり全体としてはこういう見方ですね」と整理して返すのが「受け」です。

佐々木 では最後に、事前課題の提示や小テストのような仕掛けはどうでしょう?

山中 事前課題を出す段階は「攻め」です。学びの方向性を教師が決めているからです。ただし、課題の内容や学生の回答から授業を修正したり、理解度を見て次の内容を変えたりする場合、それは「受けの技術」になります。つまり、事前課題を単に評価のために使うのか、それとも次の展開を柔軟に調整する材料にするのかによって、「攻め」にも「受け」にもなるのです。

佐々木 整理すると、同じ活動でも、学生の反応をもとに変化を加える姿勢があるかどうかで、「攻め」と「受け」が分かれるわけですね。

山中 まさにその通りです。授業というのは、常に攻めと受けの往復で成り立っています。どちらか一方ではなく、相手を見て柔軟に行き来できることが、良い授業の条件なのだと思います。

佐々木 私の見た「受けの技術」のから判断すると、たとえば、学生の意見を聞いたあとに「なるほど、でも正しくはこうですよ」とすぐに正解を示すことは「受けの技術」ではないのではないかと思いました。受け止めているようですが、実際には相手の考えを次の展開につなげていなかった。つまり「攻め」で終わっていた、一方的に伝えるだけだったわけですね。私自身、これまで「攻め」ばかりに意識が偏っていたと気づかされました。

 

 

野口芳宏監修,山中伸之著:授業力を高める「受けの技術」さくら社,2024 をもとに編集部作成 

 

山中 学生の意見に「正しくはこうですよ」と評価を加えることも「受け」の技術と考えることはできます。ただ、できれば評価だけに終わらず、他の学生たちに意見の是非を考えさせたり、なぜ正しくないのか、どうすればよりよい考えを構築することができるのかをアドバイスしたりすることが重要だと考えています。

 「学生の意見を拾った=受けた」にとどまらず、それをどのように束ねて、どのように学生に返していくのかということが重要です。言うなれば、「受け」とは、意見を素材に授業を展開すること。拾って終わってしまっては十分な「受け」ではありません。拾って広げることが「受け」のポイントです。

 

「受けの技術」以前に求められる心理的安全性の確保

 

佐々木  先生は小学生を対象に実践されてきましたが、大学生にも「受けの技術」は応用可能だと思われますか?

山中  はい、もちろん可能だと思います。私は小学生から大人までさまざまな年代を対象にお話をさせていただく機会がありますが、大人を相手にする場合でも、基本的にはそれほど変わることはないという印象をもっています。だた、配慮が必要だと思う点が1つあります。昔と比較すると、今の生徒や学生は心が脆く壊れやすい、否定的な言葉を想像以上に強く受け止めてしまうといった印象があるので、以前よりも気を遣いながらかかわる、ということです。

佐々木 私も先生と同じように、そう感じる場面があります。羞恥心や言葉に敏感な学生に対して、相手の意見を訂正したり否定的なことを伝えたりする場合、先生はどのような配慮をされているのでしょうか?

山中  小学生の場合は担任制なので、否定的な内容を伝えるやりとりをしてもその後のフォローがしやすいのです。でも、大学生はそうはいきませんよね。ですから、私も「受け」と「攻め」の技術以前に、否定や訂正をすること自体にかなり気を遣います。たとえば、授業の最初に「もしかすると意見を訂正したり否定したりすることがあるかもしれませんが、皆さんの人格を否定しているわけではないので、そこは分けて考えてください」と前置きして、了解を取るようにしています。

佐々木 授業の初めに前置きすることで、心理的安全性が確保され、学生が安心して発言できるようになるのですね。前置きがあったほうが、学生の「自分が批判された、言わなければよかった」といった過剰な解釈や消極性を予防できるのではないかと思いました。

山中 そうですね。教員から否定的な内容を受けた後、学生の反応は大きく2通りに分かれます。1つは、それを前向きにとらえ自身の糧にして向上していく。もう1つは、否定されることで心が折れてしまい、活動意欲が極端に減退してしまう。後者は、一度諦めると何かのきっかけがあるまでは諦めたままの状態になってしまいます。以前は後者の学生にも強制的に学習活動をさせていましたが、最近はそれができません。 

 結果として、できるようになる学生とそうでない学生の二極化が進んでしまいます。本来は、そういう傾向も考慮しつつ、授業のなかで意欲的にさせられればいいのですが、なかなか難しいです。

佐々木 よくわかります。物事を前向きにとらえる学生は、主体的に考えて行動していける力があるので、問題ないと思っています。むしろ、意識して目をかけなければならないのは、そうでない学生ですね。現代は多様な考え方を否定せず認め合う時代ですが、その対応にはジレンマを感じることはあります。

山中 私も同様です。いずれにしても、まずは「攻めの技術」や「受けの技術」に入る前段階として、学生の心理状態を観察しながら柔軟に対応する。心理的安全性を土台にすることが必要ですね。

 

主体的な学びにつなげる「受けの技術」の3つのテクニック:

「束ね」「間」「説き聞かせ」

 

佐々木  教員が発信した意見をきちんと受け止めて、学生自身の主体的な次の行動につなげるために、「受けの技術」のなかで特に大切だと考えている手法はありますか?

山中 私が特に重要だと思っているのは3つあります。1つは「束ね」です。講義ではさまざまな意見が飛び交いますが、それだけでは理解が深まりません。「束ね」とは、出てきた意見や説明を整理して、わかりやすくまとめたり言い換えたりして返すことです。わかりにくいと、人は理解できないし、理解できないということは、その先の思考が深まらないことになりますよね。思考が深まらないということは思考力も高まらないので、結局わかりやすくするということが非常に大事になります。みんなの意見を「束ね」て返すことにより、学生はその場の話題や学習内容、教員の意図などを理解でき、考える力が深まります。

佐々木 なるほど。意見を整理してからわかりやすく「束ね」て返すことで、学習の効果が高まり、学生の理解も深まるのですね。「束ね」には、相手の発言を十分に理解する理解力が必要ですし、理解したうえでそれを適切にまとめられる語彙力もないとできないことなので、教員にとってはハイレベルなスキルに感じます。

山中 確かに、経験を積む必要があるので高度な技術です。しかし、繰り返し実践することで磨かれていきます。学生の言葉を丁寧に聞き取り、それをみんなで共有できる形にして返す。これができるようになると、教室の空気が変わります。思考が自発的に広がっていくのです。

佐々木 「束ね」は理解を深めるだけでなく、学生が自分の考えを育てるきっかけになるのですね。では、2つ目はどのような技術でしょうか?

山中 2つ目は「間」です。私が見たことのある小・中学校の先生には、ほとんど「間」がありませんでした。つい一方的に話し続けてしまい、情報が氾濫しがちですね。そこで、質問を投げかけるとき、「間」を入れることによって、子どもの集中力が上がり、考える時間ができます。たとえば、5秒くらい黙るだけでも、子どもは「あれ?」と注目し、自分の考えを整理できます。考える時間を確保するという面でも「間」は非常に重要と思います。ただし、「間」を置くだけでは不安を生むこともあります。ですから、「ちょっと考えてみようか」などと声を添えて待つことが大切です。 

 また、回答に対して教員が発言をすぐ返さずに少し「間」を置くことで、子どもは「先生が自分の発言を吟味している。発言を認めてもらえた」と感じ、安心感や満足感にもつながります。一方、「間」を置きすぎると逆に不安につながることもあるため、その点は注意が必要ですね。沈黙を怖がらずに考える「間」をつくれれば、「間」は講義のなかでは意外に効果的です。「間」を上手に用いることで、子どもはもちろん学生の主体的な学びを促すことができると考えます。

佐々木 「間」を意識することで、集中力や発言意欲にも影響するのですね。私自身、講義中の沈黙は怖いと感じてしまい、結構しゃべりっぱなしになっていることがあるので、反省しました(苦笑)。

山中 おっしゃったように、教える立場からすると沈黙は怖いですよね。黙っているのが怖くなってすぐに喋ってしまう。けれども、学生の発言の後で教員が数秒の「間」をおくだけで受け止め方は変わってきます。慣れるまでは難しいかもしれませんが、意図的に「間」をとっていくことは非常に有効です。

佐々木 学生の発言に対してすぐに反応するのではなく、「間」をとってから反応するという方法から、始めてみます。

山中 何か発言したときに「それ、本当にいいよね」って即答するのと、発言した後に、3秒ぐらい「間」をおいてから「そうだよね」って言うのとでは、効果が違うと感じているので、ぜひ試してみてください。

 3つ目は「説き聞かせ」です。教員が子どもたちに自分の考えや人生観、授業観、学習観を切々と語ることです。教育の目的は人格の完成を目指すことですから、そこに「説き聞かせ」はつながっていくと思っています。また、「説き聞かせ」により子どもは教員への信頼や尊敬の気持ちを高めますし、それがベースになれば、授業は非常にやりやすくなります。たとえば、挙手を躊躇する子どもに、挙手の意味やその習慣がもたらす良さを「説き聞かせ」ることで、自発的な行動を引き出す効果があります。

佐々木 「説き聞かせ」は人生経験がものをいう気がして、若手にはハードルが少し高いかもしれません。私自身は、自分が学生のときにこういうことをやっておけばよかったなとか、こういう失敗につながるから今からやっておいたほうがいいよ、ということを話しています。学生の興味を引くような教員としての「説き聞かせ」のスキルを高めていくためには、失敗も含めて教員自身もいろいろな経験をすることも大事ですね。

 今出された3つの要素はどれも高度なスキルですが、試行錯誤しながら身につけていく必要があると感じました。

 

発言を引き出すテクニック――書くことも発言の1つととらえる

 

佐々木  先に先生もふれられましたが、私は講義中に挙手を引き出す難しさを感じています。大学生になると、羞恥心やプライド、人前での発言への恐れからか、挙手をためらう学生が多い印象があるからです。自分の意見をちゃんと発信していくことがすごく大事な時代になっていると思うので、学生時代から主体的に発言することを意識してほしいと思っているのですが。

 講義では、指名せずに誰かが挙手して発言できる時間を設けていますが、誰もいないと無作為に当ててしまいがちです。主体的な発言を促すためにはどのような働きかけが効果的でしょうか。

山中 手を挙げていない人を指名するのは勇気がいりますよね。まず、指名をすればほとんどの学生はなにかしら発言をするのではないかと思います。つまり、それぞれに意見はもっているけれど、それを表明するきっかけがないということなんですよね。日本人はもともと発言に消極的な傾向がありますし、学校教育でも主体的な発言をするように教えられていませんから、なかなか学生からは挙手発言はありません。小学校高学年から中学生になるにつれて、挙手発言は少なくなる印象があります。コロナ禍の教室では、発声自体を控えさせていましたので、そのような傾向がますます強くなったと感じています。

佐々木 こちらから、きっかけをつくってあげることが大事なんですね。

山中 そうですね。そのための工夫として、私は小学校の授業では列ごとに前から順番に発言してもらうこともありますが、いちばん多く行っているのは書かせることです。 私は、声に出すことだけではなくノートなどに書くということも立派な発言の1つであると考えています。大事なのはまず、自分の考えを表出すること。それは音声言語に限りません。文字で表出してもいいわけです。そして、次にそれを周囲と共有することです。書くことは、内容を整理する意味でも有効です。

佐々木 書くことも発言の1つと考えるというのは大事なキーワードだなと思いました。私自身の経験からどうしても発言することを重視していたため、考えを表出するための「書く」に注目する視点も重要でした。発言よりも書くこと自体は、学生にとっても参加のハードルが下がりますね。

山中 私が行っている大学での講義では、学生にGoogleフォームに無記名で投稿してもらって、それを全員で共有しながら意見交換しているんです。そうすると、学生の建設的な考えや独創的な考えに触れることができ、そこから新しい意見が広がったりしておもしろいんです。ただ、かなり時間がかかりますので、毎回はできません。しかし、今のところ書かせることが、学生に意見を表出させたり、学生の意見を採り上げたりするうえでは、かなり効果的な方法ではないかと思っています。

佐々木 文章に書かせることで自分の考えを客観的に整理できますし、それを匿名で共有すると心理的安全性も保たれるメリットがありますね。

山中 私が小学校で学級担任をしていた時代は、発言の大切さを毎日伝えていました。それこそ「説き聞かせ」ですね。繰り返すうちに子どもたちは発言に抵抗が薄れていきますが、よく討論ができるようになるまでには3~6か月はかかります。なので、大学のコマ単位の講義ではおそらく難しいと思います。

佐々木 確かに大学で同じようにするのは難しいと思いますが、発言することのメリットを学生が実感できるまで「説き聞かせ」を続けることはできそうです。

山中 そうですね。

佐々木 私は以前、授業のなかで無作為に学生を指名していましたが、最近は最初に当てられた学生に次の人を指名させるようにしています。最初はうまくいかなかったのですが、回を重ねるにつれて指名される前に自分から発言するという反応も見られるようになり、少しずつ自主的な発言が広がってきます。そういう学生が1人でも出てくると、全体の雰囲気が少しずつ変わってくることを実感しています。

山中 本当に、何かしらアグレッシブに発言してくれる人が1人でもいれば、教員は救われますし、教室全体に良い影響を与えてくれるので、ありがたいですね。全体の意識をすぐに変えることは難しいかもしれませんが、学生の行動変容を引き出すためには教員からの働きかけの継続が重要です。

 

教育力を高める「知識・技術・経験」のサイクル

 

佐々木 最後に、先生が「受けの技術」を実践されているなかで、ご自身の教育観や学生への考え方にどのような良い変化があったか聞かせていただけますか。

山中 私は若いころ教育技術の法則化運動にかかわっていました。これは小中学校を中心に、日本中の優れた教育技術を集め、教員全体の財産として蓄積し、共有しようという運動です。そこで集められた授業記録などには、授業内容や教員・子どもの発言が詳細に記載されていましたので、それを真似すればよい授業ができると考えていました。しかし、実際にやってみると同じ授業にはならない。ならない理由を、ずっと「子どもの違い」と自身の「攻めの技術の不足」だと思っていました。

 それが、50歳を過ぎたころ、同じ授業にならない理由は、自分自身の「受けの技術」の不足にあったということに、ようやく気がついたのです。「攻めの技術」だけでなく、子どもの反応をどう受け止めるかで授業の効果は何倍にも変わります。授業に深まりが出てくるのは、「受け」がうまくいってるときなんだということがわかり、授業観がそこでずいぶん変わりました。上手に「受け」ることは子どもを認めることにつながり、子どもの意欲や自己肯定感が高まるのです。

佐々木 「受けの技術」が講義の質や生徒の成長に直結するのですね。

山中 はい。発言内容そのものではなく、自分自身が認められたと子どもが感じられることが重要です。受けの技術の実践をしてきたなかで、学生や子どもたちが変わっていく様子を目の当たりにして自分の教育観そのものが大きく転換しました。ただ、それがわかったのが退職間際だったので、少し残念にも思っています。今は、それをいろいろな方々に伝えていくことが自分の役目でもあると思っています。

 今回のように、このようなお話をすることができる機会に恵まれ、大変嬉しく思っています。

佐々木 今日先生のお話を伺う機会に恵まれたことを私も嬉しく感じていますし、私自身たくさんの気づきや学びにつながりました。そして、先生のお考えを、今度は私たちが伝え、実践していく番だと思っています。

 最後に、日々学生と向き合う若手の看護教員に向けて、授業力を高めるためのメッセージをいただけますか?

山中 私の著書の監修者である野口芳宏先生は「技術とは、知識を安定的に行為化することだ」と、おっしゃっています。これは医療現場でも同じではないでしょうか。まず知識があって、それを百発百中に近いくらい安定して行為化できるときに、初めて本当に技術が身についたといえるのです。最初は恥をかきながらでも、とにかくやってみる。「受けの技術」は、百発百中は無理でも、100回中60~70回くらいうまくいけば十分活用できます。

 反復と実践を重ねることで、誰でも一定の技術を身につけることができます。天才は別として、普通の人はこの方法しかありません。だから焦らず、日々の授業で試し、地道に経験を積むことが不可欠です。

佐々木 慢心せずに日々意識して振り返り、修正を積み重ねることの大切さ、間違いや失敗を恐れない姿勢の重要さを改めて実感しました。また、「受けの技術」とはこういうものだという道しるべが既にあるのが心強いです。少しでも方向性が見えることで、挑戦する意欲にもつながります。

山中 教育は教える側も学ぶ側も成長し続けるプロセスです。知識を学び、技術を理解し、経験を積む。その繰り返しが教育力を高めます。ただ、そのようにして技術を身につけたとしても、他の人に説明できなければ、個人的な名人芸で終わってしまいます。伝えていくことも大事です。

佐々木 先生のお話を糧に、これからの教育に活かしていこうと思います。本日はありがとうございました。

 

インタビューを終えて

 「受けの技術」と「攻めの技術」の理解から始まり、具体的な「束ね」や「間」「説き聞かせ」といった実践的な工夫までお話しいただいたことで、授業づくりにおける多様な視点を得ることができました。なかでも、沈黙を恐れず意図的に「間」を活用するという考え方は、自分の授業運営を振り返るうえで大きな気づきとなりました。また、学生の反応をいかに受け止めるかが、その後の学習意欲や自己肯定感に直結するという点には強く共感しました。これまでは自分が伝える内容に意識が偏っていましたが、学生の発言をどう受けるかを重視して取り組んでいきたいと思えるインタビューでした。

 山中先生のお考えは、知識や技術だけでなく、倫理観やコミュニケーション能力も重視される看護学教育において、非常に有益な示唆を与えてくれるものでした。



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