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【小説】ワースト・ナース~看護教員のリアル~

第 16 話 責任 (3)

  • #看護教員
  • #看護学生
  • 2026/05/07 掲載
橘一沙

再実習の最終日、鈴木の実習記録が提出された。

それも、期限としていた 17 時間ではなく、昼間のうちに。

 

まだ時間はあると伝えたが、鈴木は「それでいいです」と言った。

 

ファイルを開く前から、どこかで予想はついていた。

それでも私は、1 つひとつの記述を丁寧に追った。

 

これまでとほとんど変わらない記述。

見本を示してもアセスメントにならない知識の羅列。

妥当性のない看護問題と、知識を繋げただけの関連図。

当然、今の患者にとって必要のない看護計画。

 

患者の姿は、どこからも見えてこなかった。

 

今、何が起きているのか。どんなことを訴え、困っているのか。

家ではどのような生活を送ってきたのか。今後どのように暮らしていくべきなのか。

 

そういったことが、ほとんど記述されていなかった。

 

疾患と治療に関する知識。

テキストのように羅列された看護問題。

鈴木の記録は、患者その人ではなく、教科書の中の術後患者だった。

 

私はファイルを閉じた。

――これが、最終提出。

 

鉛を呑み込んだような気の重さが残った。

 

評価表に目を落とす。

到達目標を 1 つずつ確認していく。

 

――既習の知識をもとに、必要な情報を収集できる。

――情報を統合し、看護問題を明確にできる。

――全体像を把握し、看護問題の優先順位を明確にできる。

――看護問題を解決するための看護計画を立案できる。

 

どの目標も、達成にはほど遠かった。

 

不合格。

 

すべての採点を記載し、その 2 文字で評価は終わる。

 

調べたことを書き写してきただけの、空っぽのアセスメント。

患者の情報に意味を見出せず、私が伝えた看護問題についてもほとんど触れられていない。

繰り返し指導しても、最後まで変わらなかった。

 

仕方がない。

 

そう思う一方で、別の考えが浮かんでくる。

もっとできることがあったのではないか、と。

 

伝え方を変えればまた違った反応があったのではないか。

もう少し早い段階で、もっと具体的に、鈴木のつまずきを整理できたのではないか。

あるいは、問方 1 つで、彼の中に何かを起こせたのではないか。

 

(やってます)

(時間もかけてます)

(わかるところまではやりました)

 

私にはまるでそうは見えなくても、本人にとっては、本当にそう思っての言葉だったのかもしれない。

あるいは、「できない自分を認めたくない」がための自己防衛だったのかもしれない。

 

だとしたら、この実習記録は、彼にとっての精一杯とも言えた。

だが、精一杯であることと、目標を達成できたこととはまた別の問題だ。

それでも、完全に線を引いてしまうことにはためらいがあった。

 

自分の指導が足りなかったせいではないか。

鈴木が変わらなかったのではなく、私が変えられなかっただけではないか。

 

そこまで考えて、ふと別の感情が湧いた。

「変える」、とは何だろう。

 

私は看護教員だ。

看護の考え方や方法を教えるのが仕事だ。

そういうことを説明し、時に学生と一緒に考えるのが自分の役割だろう。

 

私もまた、優希と同じような思いにとらわれていた。

今だって同じように葛藤している。

 

私は、看護を教える以前のところで立ち止まっていた。

 

なぜ、学ばないのか。

なぜ、自分の課題として受け取ろうとしないのか。

なぜ、看護師になりたいと言いながら、本気で取り組もうとしないのか。

 

そんなことまで、教員が引き受けなければならないのだろうか。

 

看護師になりたい。資格を取りたい。

そう思って大学に来ているのなら、本来、主体的に学ぶのは当然ではないのか。

もちろん、迷うこともある。つまずくこともある。

自信をなくすことだってあるだろう。

 

けれど、それを支えることと、看護師になるという動機や理由を外から与えることは、同じではないはずだった。

 

私はいつの間にか、鈴木に看護を教えるのではなく、鈴木が看護を学ぶ気になるよう働きかけようとしていた。

しかし果たしてそれは、教員の役割なのだろうか。

 

もし、そこまでしなければ学べないのだとしたら。

もし、そこまでしなければ患者の前に立てないのだとしたら。

 

学生の受け持ちを依頼する患者さんに対し、私は、なんと説明すればいいのだろう。

 

私は実習記録をもう一度開いてみる。

 

どこかに、何かがあるのではないか。

指導の痕跡が。鈴木自身の思考――患者さんのことを考えた痕跡が。

 

だが、やはり見つからなかった。

 

調べた知識は書いてある。

けれど患者がいない。

 

それはつまり、看護が考えられていないということだった。

個別性のある看護とはよく聞く言葉だが、私はその言葉が嫌いだった。

個別性のない看護など、ありはしないからだ。看護とは個別性あってのことだ。

 

目標が達成てきていないという歴然とした評価が、それを裏付けていた。

そうである以上、合格にはできない。それだけははっきりしていた。

 

少なくとも現時点において、鈴木は、看護学生としての責任を果たせていなかったのだ。

 

だが同時に、胸の奥では別の声がやまない。

 

もっと違う伝え方があったのではないか。

もっと早く、もっと厳しく、あるいはもっと共感的な態度で説明はできなかったか。

そうしていれば、鈴木の行動もまた、変わったのではないか。

 

けれど、そこまで考えて、最後は同じところに戻ってくる。

そもそも学生自身を変える、というのもおこがましいのだと。

 

変わるのはあくまで学生自身であり、教員にできることは、その背中を押したり、支えたりすることくらいだ。

あるいは、その小さなきっかけとなるのがせいぜいだろう。

 

これは、私が線を引かなければならない場面なのだと思った。

 

可能性ではなく、現時点での到達度で。

努力の自己申告ではなく、提出されたものを根拠に。

 

そうしなければならない。

大学の科目評価である以上、必ず点数をつけなければならない。

 

――不合格

 

ただ、私にできることは、これで終わりではない。

今後鈴木がどう考え、行動すべきかを一緒に考えていかなければならない。

それこそが、評価を下した私の責任だった。

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