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【小説】ワースト・ナース~看護教員のリアル~

第 9 話 患者不在 (1)

  • #看護教員
  • #看護学生
  • 2025/12/23 掲載
橘一沙

電子カルテの画面を見つめる上原の背中は、いつも少し前のめりだった。

 

カンファレンス室の片隅。パソコンの前に座り、マウスを動かしながら、熱心にメモを取っている。

現病歴、既往歴、日々のバイタル、観察内容、検査データ、治療方針。

アセスメントに必要な情報は拾えているし、行動計画も立案できている。

 

「今日は患者さんのところに、もう行った?」

 

私が声をかけると、彼女ははっとしたように顔を上げた。

 

「あ、はい……このあと行こうと思ってます」

 

実習が始まってから、何度も耳にした言葉だった。実際、彼女は患者のもとへ行かないわけではなかった。

促せば病室へ向かい、患者に挨拶をして、訴えを聞き、一通りのバイタルを測定してくる。

そして、戻ってきた後の彼女のメモには、いつも同じような内容が書かれていた。

 

特に訴えなし。血圧、体温、脈拍、呼吸数とSpO2の値……

 

「この患者さんにとって、今一番の問題って何だと思う? 辛そうなことや困っていそうなことはなかった?」

 

彼女のメモを確認しながら尋ねると、上原は少し考えてから答えた。

 

「術後なので、疼痛管理が必要だと思います」

 

けれど、それ以上は続かなかった。

 

「具体的にどこが、どれくらい痛いのかな。患者さんの生活に影響はありそう?」

 

「……活動量が低下していると思います」

 

「そうだね。実際に患者さんが動くところとか見てみた? 上原さんにできそうなことはない?」

 

彼女は黙り込み、自分のメモに視線を落とした。しばらく待っても、答えは返ってきそうになかった。

 

「もし考えるのが難しいなら、毎日看護師さんたちが実践していることをしっかり見てみようか。患者さんにとって必要なことをしているはずだから」

 

上原は私の言葉にしっかり頷いた後、再び電子カルテに向き直った。

 

翌日提出されたアセスメントには、前日メモした情報をもとに、「活動量低下」という問題が記されていた。

疼痛による活動制限から、「移動介助」の必要性にも触れられており、「実習記録」としては整っているように見える。

けれど、安静時や活動時における患者の訴えはなく、どのようなときに、どれくらい痛むのか、といった情報は見あたらなかった。

 

「もしかして上原さん、患者さんの問題を考えるというより、書くこと自体が目的になってないかな」

 

そう伝えると、彼女は困ったように笑った。

 

「いえ……ちゃんと、患者さんのことを考えてきたつもりです」

 

「でも、このアセスメントだと、どうやって介入するかが見えてこないんじゃないかな。患者さんの痛みをなるべく軽減できるような援助とか考えられそう?」

 

上原は首を傾げ、「考えてみます」と言って、再び電子カルテに向かった。

私は「まずは患者さんのところに行ってみようか」と声をかけた。

 

その翌日、上原は実習に来なかった。

 

「頭痛がひどくて吐き気もあるため、本日はお休みしたいと思います」

 

次の日も、上原は実習に来なかった。そして、土日をはさんだ翌週、何事もなかったかのように実習に参加した。

 

提出された看護過程の記録には、看護計画までしっかり記述されていた。

疾患や治療に関する学習はさらに深まり、アセスメントも「増えている」。

 

ただ、彼女の記録から読み取れたのは、よく整った紙上事例だった。

患者の声も生活も、そこにはほとんど見あたらなかった。

当然といえば当然だった。先週から丸 4 日もの間、患者さんのもとへ行けていないのだから。

 

――上原の記録を読みながら、私は考えてしまった。

もしこれが彼女の考えた「看護」というのなら、患者さんに協力してもらう必要があるのだろうか。

 

「体調は大丈夫?」

 

「はい。もう大丈夫です」

 

そう答えて、上原はまた、電子カルテの前に座った。

 

その背中を見つめながら、彼女にとって今日も同じ 1 日が始まるのだと思った。

私は再度声をかけ、彼女を伴い患者のもとへ向かった。

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