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【小説】ワースト・ナース~看護教員のリアル~
第 10 話 患者不在 (2)
- #看護教員
- #看護学生
- 2026/01/13 掲載

病室のドアをノックすると、ベッドで横になっていた患者がこちらを向いた。
「失礼します。看護学生の上原です」
上原がベッドサイドに向かう。声の大きさも、表情も、落ち着いている。
患者は軽くうなずき、首だけを横に向けながら、再び視線をテレビに戻した。
「体調はいかがですか?」
患者は少し考えるようにして答えた。
「まあ……こんなもんだよ」
それ以上の言葉はない。
上原は続けて、痛みの有無や眠れているかどうかを確認した。患者は短く答え、時折こちらを見上げるだけだった。
「今日は、何か困っていることはありませんか?」
「今のところは大丈夫」
上原はうなずき、私の方をちらりと見て、病室を出た。
「どうだった?」
私が尋ねると、上原はすぐに答えた。
「落ち着いている印象でした。痛みも強くなさそうでした」
「そう感じたんだね。じゃあ、さっき患者さん、どんな姿勢で寝てたか覚えてる?」
「……仰臥位でした」
「いつからそうしているんだろう。起き上がるときは痛くないのかな?」
上原は一瞬、言葉に詰まった。
「……あまり、動きたくないんだと思います」
「どうして?」
「まだ術後なので、安静が必要だからだと思います」
「でも、そろそろ離床を促さないといけない時期だと思うよ」
「あ、はい。トイレへ行くときに呼んでもらおうと思います」
私は上原とともに、患者のベッド周囲の環境整備と、車椅子への移動介助を行った。
上原は私に説明された通りに動いた。ただ、彼女の方から何かを提案したり、質問したりする様子はなかった。
そのような行動は、実習最終日まで大きく変わらなかった。
上原は毎日実習に参加し、情報を収集し、実習記録も欠かさず提出した。
既存の枠組みに沿って、新たな問題も追加されていた。
実習終了後に提出された課題レポートには、
「患者の疼痛に配慮しながら毎日移動介助を行い、痛みによる睡眠障害が生じていないか確認することで、適切な援助を実践することができた」
と書かれていた。
自己評価の欄には「非常によくできた」「よくできた」の評価が並んでいた。
――上原は、どの場面を思い浮かべて、これを書いたのだろう。
驚くと同時に、素直に疑問に思った。
後日、私は上原と面談する時間を設けた。
「実習、お疲れさまでした」
そう声をかけると、上原はホッとしたような表情を浮かべた。
「はい。ありがとうございました」
「まず、今回の実習を振り返ってみて、どうだった?」
「周りの学生と比べて、不安になることもありました。でも、自分なりに頑張れたと思っています」
「具体的には、どんなところが?」
「事前にしっかり勉強しましたし、看護過程も看護計画まで書けました。援助も実践できたと思います」
私は、手元のレポートに目を落としながら言った。
「この課題レポートに書いてある『実践した援助』について、少し聞いてもいい?」
「はい」
「ここに書いてある援助は、どの場面のこと?」
上原は少し考えてから答えた。
「先生と一緒に行った環境整備と、車椅子への移動介助です」
「それは、上原さん自身が判断したり、考えて行った援助だったかな。しかも毎日?」
上原は一瞬、視線を泳がせた。
「……一緒に、やりました」
「そうだね。一緒にやったよね」私は続けた。
「上原さんは、自分ではどんな看護ができたと思っている?」
「患者さんの状態を考えて行動できたと思います」
「患者さんが、何に一番困っていたかは?」
「術後の痛みです」
「本当? 実習の最後には、もう1人で歩けるようになっていたけど?」
上原は黙り込んだ。
「上原さんは、患者さんの訴えや生活をちゃんと見れていたかな?」
「……あまり、話してくれなかったので」
面談室に、静かな沈黙が落ちた。
「上原さん」
私は、ゆっくり言葉を選んだ。
「あなたはきちんと勉強してきたし、課題にも取り組んでいたと思う。でも、患者さんが日々どんな問題を抱えていて、何を必要としていたかはわかっていなかったんじゃないかな」
「……そうでしょうか」
「はっきり言って、上原さんの評価と私の評価との間にはだいぶ差があると感じてるよ」
上原は、黙って私を見ていた。
「課題レポートの内容は、不適切な表現だったと思います。自己評価も、高すぎたかもしれません」
そのような表面上の問題ではないと思っていた。
――何を伝えるべきかはわかっている。
迷っていたのは、どう伝えるべきか、だった。


