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【小説】ワースト・ナース~看護教員のリアル~

第 13 話 触れられない場所 (2)

  • #看護教員
  • #看護学生
  • 2026/03/16 掲載
橘一沙

“患者さんと向き合えていない”。
その言葉が、思った以上に鋭いのかもしれない、と思い始めていた。

 

優希は「声を荒げたわけでもないし、もちろん人格を否定するようなことなんて言ってないよ。ただ、事実を伝えただけ」と言っていた。

しかしそれは、あくまで優希の主観でしかない。ひどい言い方かもしれないが、実際にどのような伝え方をしていたのか、実際のところ知りようがない。

 

同じことが学生側にもいえる。
「精神的ショック」。だがその内実は、本人以外、誰にもわからない。

 

後日、私は優希の研究室を訪ねた。
机の上には、まだ返却できていない実習記録が積まれていた。

 

「学生から連絡はあった?」

 

「保護者からまた電話があったよ。『娘は真面目な子です。あれ以上どう頑張ればよかったのか分からないと言っています』って」

 

優希は力なく笑う。

「けど、実習には復帰するみたい。とりあえずよかったよ、担当は変わってもらうけどね」

 

「そっか」私はほっとして言った。

 

「真面目、なんだよ。確かに。遅刻や欠席はしないし、求められている課題や記録も提出する。でも……」

 

「患者さんに意識が向いているようには見えない?」

 

私が言うと、優希は静かにうなずいた。
「患者さん、結構痛みがひどくてね、よく顔をしかめてたんだよ。でも学生は、『数値は安定しています』としか言ってこない。患者さんの反応については何も報告なしさ」

 

私は無言のまま相槌を打った。

 

「本当に、そのことを指摘しただけなんだよ。『表情とか、ちゃんと見てる?』って」

 

どこか諦めたような口調のように思えた。

 

「もしかして、学生の “できている自分” を壊してしまったのかもしれないね」

 

「ちゃんとできている」自分の否定。自己評価と現実の乖離。

珍しいことではない。だが、それを突きつけられる経験が、件の学生にはほとんどなかったのかもしれない。

 

「優希はさ」と私は言う。「何を守ろうとしてたの?」

 

「患者さんだね」優希は迷うことなく答えた。

「自分のことを見てくれない看護学生になんて受け持ってほしくないでしょう。ただでさえ術後の辛い時期なのに」

 

私たちは、いつもそこから出発する。

 

患者さんの安全。
患者さんの尊厳。
患者さんの善意。

 

けれど、学生にとって実習は “自分が評価される場” だ。
誤解を恐れず客観的な言い方をすれば、患者さんは学生にとって学習対象でもあり、評価の一部になってしまっている。
その傾向が顕著な学生ほど、今回のようなすれ違いが生じてしまうのではないだろうか。

 

「保護者はね」と優希が続ける。「『もっと肯定的に指導してほしかった』って言ってた。できている部分をまず認めてから、と」


「まあ、それは教育学的には正しい、のか?」
私は苦笑した。

 

「でも、患者さんの痛みっていう本当に大切な事実を見落とすかもしれない状況で、『よく頑張ってるね』を先に言う必要、あるのかな。まずはそのことを指摘してあげることが、看護教育だと思う」

 

どちらを優先しても、どこかにひずみが出るような気がした。

 

「もう、怖くなってくるよね。これから何か指摘するたびに、『実習に来られなくなるかもしれない』『親からクレームが入るかもしれない』ってさ。いったい何しに看護の大学に来たんだか」

優希は半ば呆れるように言った。

「だいたい、大学生にもなって親からクレームって、せめて自分の口で言ってきてほしいよ……」

 

それで、本当に学生は育つのだろうか。
それで、本当に患者さんと向き合えるのだろうか。

 

「でもさ」と私は言う。

「今回のことはある種、学生の特性だったかもしれない。でも、だからといって何も言わないのは、やっぱり違うと思う。なら、学生の特性を踏まえたうえで、伝えなくちゃいけない。それしかないよ」

 

窓の外では、昼休みの学生たちの華やかな笑い声が聞こえてくる。
実習中はほとんど見聞きできない姿だが、学生たちも決して自ら学修の機会を放棄したいわけではないだろう。

 

「“向き合えていない” って言葉、強かったかな」
優希も私と同じようなことを口にした。

 

「本当のことだったと思うけど、たぶん強かったんだと思うよ」
私ははっきりと言った。

 

もしくは、そっと触れなくてはいけなかった場所に、優希はまっすぐ、踏み込んでいってしまったかもしれない。
でも、実習とは本来そのような経験を積み重ねていく場所だとも思っていた。

 

自分の未熟さや、自分の限界に気づく場所。
そして、自分がまだまだ患者さんを見ることができていないのだという事実に。

 

「今度同じような学生がいたら、どうする?」

 

「また同じこと言うと思う。ただ――」優希は小さく息を吐いた。

「次は違う言葉と言い方でね」

 

少しだけ、覚悟の混じった声だった。

 

私は笑った。「そうやって、毎回考えていくしかないよね」

 

学生の心を守ることと、患者を守ることは、時に同じ方向を向かない。
その間に立たされるのが、私たちだ。

 

けれど、私は知っている。
かつて同じような学生であり、看護師(ワーストナース)だった自分が曲がりなりにもここまで来られたのは、大勢の患者さんと、そして先輩方から受けた多くの指導のおかげだ。

「どうしようもない」と言われ続けた自分のような人間でさえ、成長し、変わることができたのだ(少なくとも私自身はそう思っている)。


だとしたら、そのためのきっかけくらいにはなれるよう、日々どのような指導が学生の成長に繋がるを考え、向き合っていくしかない。
そんなありふれた答えしか、今はまだ出せないでいた。

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